ラム酒といえばカリブの海賊!?知られざる起源と歴史
あなたが持つラム酒のイメージはどのような物ですか?最近では都会的で洗練されたイメージが強いラム酒ですが、そもそもは海の男の酒でありワイルドなお酒です。様々な世界史と密接なかかわりのあるラム酒の歴史についてご紹介します。
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ラム酒の起源と発祥の地
まずはラム酒の起源と発祥の地についてご紹介します。ラム酒の起源はカリブ海の島であったと言われています。しかし、カリブ海の島々にはラム酒の原料となるサトウキビは自生していませんでした。
1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、それ以降にヨーロッパ人によってサトウキビが持ち込まれ、気候が栽培に適していたことからカリブ海の島はサトウキビの一大産地となりました。
ラム酒発祥の地
ラム酒の発祥については諸説ありますが、以下の2つの説が有力視されています。いずれの説にせよ、17世紀にはラム酒が誕生していたと言われています。
バルバドス島説
17世紀にバルドス島に移住したイギリス人によってラム酒の製造が始まったという説。
プエルトリコ島説
16世紀の初頭に、プエルトリコに来たスペイン人冒険家「フアン・ポンセ・デ・レオン」の隊員の1人が蒸留技術を持っており、ラム酒を開発したという説。
名前の由来
ラム酒の名前の由来についても諸説あり、確定的な情報はありません。有力視されているのは、バルバドス島の原住民が酔って騒いでいるのを見たイギリス人が「rumbullion」と表現したのがきっかけという説です。
rumbullionとは、デボンシャー方言で「興奮」という意味であり、現在最も有力視されています。
日本ラムの歴史
日本におけるラム酒の歴史についても少しご紹介します。日本でも古くからラム酒を飲んでいた地域があります。それは「小笠原諸島」です。小笠原諸島では1830年頃の開拓の初期から欧米系の定住者が捕鯨船と取引を行ってラム酒を入手していました。
1876年に小笠原諸島が日本領土と確定してからは、サトウキビの本格的な栽培が始まり、製糖業が盛んになりました。製糖の過程で出る副産物「モラセス」を発酵し、蒸留した蒸留酒を島民は飲むようになりました。
島民はこの蒸留酒を「泡酒」や「蜜酒」と呼んで親しんでいましたが、これは「インダストリアル・ラム」と呼ばれるラム酒の1種でした。現在では小笠原諸島以外でも鹿児島や沖縄でも一部の酒造メーカーによって作られています。
海の男との関わりが強いラム酒の歴史
ラム酒は歴史的に見ても非常に興味深いお酒です。世界史における様々なシーンと密接に関わっています。
現在では都会的で洗練されたお酒の印象が強いですが、そもそもは海の男のお酒でした。ラム酒はエネルギー源としてはもちろんですが、長期間船の上で過ごす海賊や船乗り等の壊血病の特効薬としても親しまれていました。商船や海賊船、船の酒場には必ずラム酒が置かれていたと言われています。
アメリカ独立戦争はラム酒が原因?
ラム酒の世界史との関わりの中でも有名なのが「アメリカの独立戦争」です。その要因の一つがラム酒と言われています。1773年にイギリスは自国植民地以外からの糖蜜(ラム酒の原料)を減らす為に、他国産の糖蜜に法外な関税をかけました。
その結果、アメリカでは糖蜜の密輸が横行しました。密輸に対応するためにイギリスが糖蜜法という法律を制定し、厳しく取り締まりました。これらの締め付けに激怒したアメリカが独立を宣言したのが、独立戦争です。
もちろん、要因はラム酒だけではありませんが、ラム酒を愛飲していた彼らの怒りは独立戦争の大きな要因になったとも言われています。
ラム酒と海軍
ラム酒には海軍とも歴史的に密接な関わりがあります。イギリス海軍では1740年から海兵の士気向上の為にラム酒を支給しており、それは1970年まで続いたと言われています。
この伝統からイギリス海軍ではラム酒に関するエピソードや伝説もいくつか生まれており、「ラム酒=海の男のイメージ」を決定づけたと言われています。
パイレーツ・オブ・カリビアンでラム人気急上昇
ラム酒はウオッカと共に世界的に人気の高い酒です。しかし、人気映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの大ヒットの影響で、ラムの消費量が急増しています。イギリスの調査によると、2007年のダークラム消費量は前年比30%以上の増加を見せており、バーでもモヒートやピニャ・コラーダ、マイタイなどのカクテルをよく聞くようになりました。