ミツカンの歴史や特徴とおすすめの酢
中国から日本に酢が伝わったのは5世紀頃だといわれています。米から作る酢は昔からありましたが、ミツカン創業のきっかけとなったのは「酒粕でつくる粕酢」です。
元々酒造家だった創業者の中野又左衛門にとって酢づくりはタブーともいえる事業でした。そのリスクをおかしても新しいことに挑み、江戸で評判の「早ずし」流行にのって業績をのばします。
しかし、明治時代に商標条例が公布されると、三日の遅れで「丸勘」の商標を奪われてしまうのです。そこでひらめいたのが「三ッ環」、三文字の下の○は「天下一円にあまねし」という易学上の理念を表しています。
リスクを恐れず、時流にのる技にたけ、ひらめきで難局を乗り越えた創業者の理念が受け継がれるミツカンとはどんなメーカーなのでしょう。
今回はミツカンの歴史や特徴、そして、おすすめの酢の種類についてもご紹介します。
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ミツカンとは?
ミツカンといえば酢やぽん酢、みりん、納豆などの食品メーカーとして有名です。その歴史は江戸時代中期にまで遡り、尾張国(今の愛知県)で造り酒屋を営んでいた中野又左衛門がミツカンの礎を築きます。そして彼は、酢とは切っても切り離せない「すし」の歴史に深く関わる人物でした。
又左衛門は酒粕から「粕酢」を造りますが、酒造家が酢を造るなど江戸時代には考えられなかったことでした。というのも酒桶に酢酸菌が入ると、酒は全て酢になってしまうのです。リスクが高いため、又左衛門も分家してから酢を作っています。
しかし「粕酢」は評判となり、同じころ江戸では「早ずし」が人気となっていました。「早ずし」とは、すしの起源ともいわれる「熟れずし」の進化形で、現在のすしの原型とも言われています。
実際に江戸に行き、この「早ずし」の人気と味を確認した又左衛門は、自分のつくる「粕酢」の甘みや旨味がこれに合うと確信しました。国に帰ると早くも江戸での需要を見込み、本格的に「粕酢」を造り始めます。
「早ずし」に使う酢が、当時はまだ高価な米酢だったことも気持ちを後押ししたのではないかと推測されます。米酢を「粕酢」に変えれば、もっと美味しいすしが手軽に作れると考え、酒で培った海運力と販売ルートを活かして、積極的に売り込みました。
やがて人気のすし屋が「粕酢」を使うようになり、江戸っ子の心をつかんだ「早ずし」と一緒に、又左衛門の「粕酢」は爆発的にヒットします。リスクを恐れないフロンティア精神と時勢を読む的確な判断力、それがミツカングループの原点といっても過言ではないでしょう。
「ミツカン」の由来について
幕末の動乱を乗り越え、明治に入っても事業は順調でしたが、1884年、西欧にならって「1商標1社」という初の商標条例が公布されると、創業から名乗っていた「丸勘」の商標をわずか三日の遅れで名古屋の同業者に奪われてしまうのです。
尾張地方では、江戸時代から酢の製造業者が「丸勘」と名乗る風習があり、複数の会社で同じ名前が使われていました。
四代又左衛門は屋敷にこもって新たな商標を考え、丸の中に三本の木が描かれる家紋から三ッ環のマークを思いつきます。「横三本線」の下の「丸」は天下一円を意味し、「三つ(ミッツ)の線」と「丸=環(カン)」で「ミツカン」と呼ぶようになった由来がここにあるのです。
横三本線の意味は「味」「効き(酸っぱさ)」「香り」の3本柱で、自社で作った酢の美味しさを端的に表わしています。新しい商標は1887年に無時に登録完了、今もミツカンの商標として使われ続けています。
ちなみにミツカンのアルファベット表記は、長い間「Mitsukan」と書かれていましたが、創業200年を迎えるにあたり平成16年「Mizkan」に改められています。「tsu」から「z」に変化したのは、酢と深い関わりのある「Zymurgy(醸造学)」の頭文字を取ったためです。
ミツカンの商品を見ると「Miz」の部分だけが濃い色になっていますが、これは全ての命の根源「水」を強調しているそうです。「やがて、いのちに変わるもの」というキャッチコピーからも言葉に込められた数々のこだわりが伺えます。
この商標登録には、もうひとつエピソードがあります。それは四代又左衛門が行った大がかりな「ミツカン商標披露」。なかでも、1888年の「東京披露会」では当時熱狂的な人気を集めていた歌舞伎の芝居小屋を1日借り切り、1500名もの得意先を歌舞伎公演に招待するイベントを行っています。
招待客すべてに新しい商標を解説するパンフレットが配られ、商標をあしらったかんざし・徳利・猪口などのプレゼントがあり、舞台には人気歌舞伎役者が勢揃い。客席で弁当や酒を振る舞う店員たちは、ミツカンの商標を染め抜いたハッピと半纏を羽織る気合の入れようです。明治時代には考えられないような大規模なイベントに、来た人も聞いた人も驚きを隠せなかったといいます。
ここで見えて来るのは、それぞれの時代でミツカンを率いたリーダーの力です。学ぶべき場所で十分に学び、リスクを恐れずチャレンジする、困難にあたってはそれをチャンスに変える力をもつ、そんなリーダー達の思いが今も受けつがれているからこそ、ミツカンには革新的で魅力的な商品が数多くあるのかも知れません。
ミツカンの歴史
ミツカンの創業者、初代又左衛門は1756年に小栗喜左衛門の長男として誕生しました。そして20歳の頃に尾張国半田村の大きな造り酒屋、中野半左衛門の家に乞われて養子に入り、幼い後継者の後見人となります。
ここで家業を守るかたわら、造り酒屋の仕事や経営のノウハウを学びました。20数年後の1804年、後継者の成長を見届けると、又左衛門は晴れて分家を許されるのですが、このとき既に50歳目前。それでも、開拓精神にあふれ勉強熱心でもあった彼は、酒造業のかたわら酒粕を原料に「粕酢」の製造を始めていました。
酒は酢酸菌に弱く酒造家が酢をつくることはタブー視されていた時代に、あえて粕酢づくりに挑んだのは何故だったのでしょう。今となってはわかりませんが、この粕酢は当時、江戸で人気を集めていた「早ずし」によく合い、その流行を追い風に人気商品となります。
本格的な酢作りへ
1811年には半田工場を開設し、本格的な酢造りを開始しました。1816年、息子太蔵に酢屋勘次郎を名乗らせ、酢の経営を譲ると、自らは増倉屋三六として酒造業に専念します。1845年に発売した「山吹」は酒粕を3年間熟成させてつくる高級粕酢で、ミツカンのブランド第1号となった商品です。
1867年、三代目又左衛門が59歳で亡くなると13歳の少年、小吉が四代目を襲名します。彼は類まれな経営手腕を発揮し、販路を確実に拡げていきました。全国各地で開催される「内国勧業博覧会」などに出品して酢のPRに努め、1884年の商標条例の施行で「丸勘」を「三ツ環」に改めたのも四代目です。
若い頃から「易学」に興味をもち、戸籍法が整えられる過程で中野という名字を、現在の中埜に変えたのも、四代目の易学の影響だといわれています。
ミツカンは新しい商標でスタートをきると、翌年には需要拡大に応えて工場を増設、酪農や海運会社などの異業種へも参入し、1887年にはビール醸造事業に着手しました。四代目が甥の善平に東京のビール工場を調査させると、彼は醸造法を学び、イギリスのビール醸造免許をもつ中国人を雇って戻ります。その成果が実り、1889年ついに念願の自社醸造ビール「丸三麦酒」が発売の日を迎えるのです。
販売のために「丸三商店」を設立し、物資の保管や輸送の一元化を図って事業は軌道に乗り始めますが、その道半ばにして四代目は42歳という若さで生涯を終えました。
七代目の就任
七代目の政一(後の七代又左エ門)が社長に就任したのは1952年、日本が敗戦から立ち直ろうともがいていた時代です。彼はまず、酢の全面的なビン詰め化に取り組もうとします。
当時の酢は、まだ昔からの樽売りが主流で、市場では大手メーカーの空き樽に粗悪な合成酢(混成酢)を入れて売るという悪徳商法が横行していたからです。特にミツカンは、物資不足の時でも六代又左衛門が品質にこだわり、戦前と同じ様に最高級の醸造酢をつくらせていたため、消費者から絶大な信頼を得ていました。
これを逆手にとり、樽を悪用する者が政一には許せなかったのです。空き樽の回収が極端に遅くなって初めて彼はこのトラブルに気づき、商品のビン詰め化を計画します。詐欺まがいの粗悪品を防ぐためだけでなく、その頃には日本酒や醤油もビン詰め化が進んでいました。
しかし、その設備投資には「返済に100年かかる」というほどコストがかかります。幹部も口を揃えて反対しましたが、政一は消費者の立場にたって決断し、1954年に半田工場は全自動のビン詰めラインに刷新されました。
1956年には卓上酢びんを開発、生産の合理化を進め、東京・福岡・大阪・栃木と次々に工場を増設していきます。
1960年に七代目を襲名するとき、政一は又左衛門を又左エ門に改めると発表し、周囲を驚かせました。「衛には守るという意味があり後ろ向きであるが、エは工夫の工にも通ずる」と理由を述べていますが、そこには歴史的な名前をそのまま受け継ぐのではなく新しい時代を作っていきたいという、前向きな気持ちが込められていたのではないでしょうか。
近年のミツカン
高度成長期にミツカン酢は益々売り上げを伸ばし、「100%醸造はミツカンだけ」「この子には、まじりけのないものを与えたい!」のキャッチフレーズで純正食品キャンペーンを展開、海外の有力な食品メーカーとの提携・買収を通して全米有数の食酢企業となりました。
さらに、食生活の変化をいち早く捉え、味ぽんやドレッシング、しゃぶしゃぶのたれ、おむすび山、追いがつおつゆ、五目ちらしなどの新製品を次々に開発し、ヒットさせています。
ミツカンの酢の特徴
粕酢がすしの歴史を大きく推し進めたように、ミツカンの商品は食卓で家庭の味を大きく進化させました。
1964年発売のぽん酢は、料亭の味を家庭でも味わって欲しいと開発された商品です。関東ではまだ馴染みのなった水炊きを広めようと、市場に屋台を持ち込んで試食販売をするなどユニークな宣伝を行いました。
実は七代目又左工門が、博多で水炊きを食べた時の料亭のぽん酢に魅了されて開発が進んだという商品。ぽん酢は後に「味ぽん酢」に名前を変え今は「味ぽん」として食卓の定番調味料になっています。
他にも、しゃぶしゃぶのたれやおむすび山など、今ではすっかり定番となった革新的な商品がミツカンにはたくさんあります。それだけ商品が食卓に馴染み、食卓の感覚そのものが進化したのだといえるでしょう。かつて、美味しいすしが手軽につくれる粕酢をつくったミツカンの酢は今も、食卓に新しい驚きを提供し続けているのです。
ミツカンでおすすめの酢:厳選3種
すしの進化にかかわっただけあって、酢へのこだわりとラインナップはかなり豊富です。食酢だけでも穀物、米、純米、純玄米、黒酢、リンゴ酢、ワインビネガー、バルサミコなど実に多彩。革新的なのに次の定番になりそうな新商品もあります。
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