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日本人なら知っておきたい!お米の歴史

日本人なら知っておきたい!お米の歴史

日本人の主食として、食べたことのない日本人は存在しないと言っても過言ではない「お米」。日本人に生まれたからにはある程度お米の歴史も知っておきたいですよね!お米の元となる稲は、紀元前12~13世紀頃の文献にも書かれており、非常に古くから存在している穀物だという事がわかります。

そんなお米の誕生から現代に至るまで。米の文化や歴史、さらには日本における米の歴史についても紹介していきますので、今一度、お米の歴史について一緒に勉強してみましょう

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お米の誕生

お米の誕生

稲に関する最も古い文献は紀元前12~13世紀。お米の栽培は現在から約6000年前。日本に伝来したのは2000~3000年前。そして現在アジアで栽培されているお米の誕生には2説あり、中国雲南省にて見つかった3800年前のモミがらの化石を起源とする説と、揚子江の遺跡にて8000~9000年前のモミの化石が出土です。

稲の歴史

稲が誕生した瞬間というのは記録に残されていませんが、上でも簡単に解説した通り紀元前12~13世紀頃に書かれたと考えられている、古代インドの聖典「リグ・ヴェーダ(Rigveda)」にて「イネ(Vrihi)」に関する記述がみられます。

当初は山地や丘陵などで、稲だけでなく、アワやヒエといった雑穀類とともに混作されていましたが、イネの水田栽培に適した性質に気がつき、独立して水田で栽培されるようになったと考えられています。

日本のお米の原点:アジアイネ

私たち日本人が愛食している米といえばジャポニカ種。日本では3000年近くもの間利用されており、日本人にとって米といえばこのジャポニカ米であるといっても過言ではありません。

そんなジャポニカ種の祖先となる「アジアイネ」のルーツを探っていくと、最も有力とされているのが中国の長江中における下流域で誕生したという説。紀元前5000年頃と思われる遺跡から、炭化米や稲穂を描いた黒陶などが見つかっています。

稲作の歴史

稲のルーツを辿ると水辺の地域が多く、最初の頃は水辺に生えている野生の稲を集めて食べていたのではないかと考えられています。そんな中で初めて「人間が稲を食べるために育てる」という稲作を行ったのが、今から6000年前頃のインド・アッサム地方ではないかとい言われています。

こういった稲作技術は、アジアやアフリカへと伝わったのちに、今から5000年ほど前に中国へと伝わり、この辺りで本格的な米の栽培が始まりました。

日本におけるお米の歴史

日本におけるお米の歴史

日本における稲作は縄文時代の中期頃から行われ始めたとされています。大々的に水田をを使用した稲作が行われるようになったのが縄文時代の後期から弥生時代にかけてと言われています。

日本への米や稲作の伝来

日本へのお米の伝来には大きく分けて4つのルートが考えられています。

  1. 対馬暖流ルート
  2. 南方伝来ルート
  3. 朝鮮半島南下ルート
  4. 山東半島・朝鮮半島南東部ルート

お米の伝来ルートにはこのように諸説あり、出発点を重要視した説や、経路を重要視した説などがあります、それぞれの伝来ルートについて、以下で簡単に説明しておきましょう。

対馬暖流ルート

揚子江下流域で培われた稲作技術が、直接九州北部に伝来したという説。お米の歴史として語られる際に最も多くの人が有力視している説であり、お米の歴史を扱う本やウェブサイトでも、このルートに則って話を進めている事が多い説です。

南方伝来ルート

江南から南西諸島を経て、九州南部へと伝来したと考えている説。宮古島などを経由する黒潮ルートという呼び名もあります。琉球の北部における稲作を示すような資料が出ておらず関心が薄かった説ですが、岡山県にて6000年前のジャポニカ種が発見されるなどして、最近注目度が上がってきています。

朝鮮半島南下ルート

遼東半島における遺跡で3000年前の稲の炭化米が発見されたことで、そこから朝鮮半島を南下して伝来したのではないかと考えられている説です。

山東半島・朝鮮半島南東部ルート

山陽半島や朝鮮半島における遺跡では、水稲の炭化米や水田跡などが見つかっており、ここから九州北部へと伝来したと考えられている説ですが、日本で発見されているRM1-b遺伝子を持つ品種が朝鮮半島に存在しないため、今のところは関心の薄い説とされています。

古代の日本とお米の歴史

なんらかの形で日本へと伝来したお米は、徐々に近畿や東海、そして関東や東北へと浸透していき、次第に日本中で稲作が行われるようになりました。それによって稲作の技術は成長し、弥生文化は発展していきます。

そんな中で誕生した日本で初めての国家「邪馬台国」は米が作った国とも言われており、女王の卑弥呼によって設立された邪馬台国は米の発達とともに国としての形を整えていきます。

稲作は労働や管理といった組織形成を成し、米は権力の象徴であったり今でいう貨幣のような価値を持ち、日本の成り立ちと米はここから江戸時代の後半に至るまで切っても切れない関係となります。

1800年近く続いた米の貨幣的価値

邪馬台国の頃から、米というのは政治的にも使われることが多く、単純な食べ物としてだけではなく経済的に特殊な意味を持つようになりました。また、これらは日本だけでなく、マダガスカルやタイなどの米食文化を営んできた国々でも同様の意味を持っていたとされています。

日本では長らく「税(年貢)」として米は取り扱われ、その貨幣的価値は江戸時代の終わりまで続きました。

古くは稲作を進めていくための敷地を持っていることが富裕さ権力の象徴となっており、江戸時代では所有している米の多さが大名の勢力を図るバロメーターとしても使用されていました。

今でいう「お金持ち」という表現は同時に合わせるなら「お米持ち」という表現になるのでしょう。

近代の日本とお米の歴史

日本の経済が「貨幣」へと移り変わると共に、お米は徐々に貨幣的価値が薄まり「食べるもの」へと変化していきます。とは言っても大正時代における米騒動や、戦時中の米不足などと合わせて、お米の不作が国家を揺るがす事態になるような時期を経て今に至ります。

現在では米以外にも、パンなどの小麦も主食として取り入れられることで「米が余る」という現象も生まれつつあります。最近では家計支出に占める米類の支払い割合も低下しており、歴史を振り返ってみると「米こそが全て」だったころから、徐々に米の地位は低下してきているのです。

お米の歴史を知って、もっと米を好きになって、日本の米の地位を上昇させていきたいものですね!

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