カリフォルニアワインの歴史について
ニューワールドワイン(新世界ワイン)の筆頭とも言えるカリフォルニアワイン。
アメリカで生産されるワインの大部分はカリフォルニアで生産されており、世界的にレベルの高いワインとして注目されています。
ニューワールドワインとは言われていますが歴史は古く、高品質なワインとして愛飲する方も非常に多いです。
ここではそんなカリフォルニアワインの歴史について紹介していきます。
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カリフォルニアワインの始まり
カルフォルニア州はアメリカ全体で作られるワインの80%以上を生産している一大産地です。
アメリカでワインが作られるようになったのは、15世紀ごろだと言われています。
アメリカ大陸発見から、現在のようにチリワインや日本ワインと同じニューワールドワインとして注目されるまでの歴史を紹介していきます。
15世紀:アメリカ大陸発見
コロンブスがアメリカ大陸を発見する前、10世紀ごろにはノルマン人の船乗り(ヴァイキング)がアメリカ大陸に到達し、自生しているブドウを発見したと言われています。
アメリカ大陸は一時的にヴァイキングによって開拓され、植民地化されましたが、先住民族の反発によりその支配は長くは続きませんでした。
その後、大航海時代の1492年に探検家のコロンブスがアメリカ大陸を発見し、スペイン人をはじめとしたヨーロッパ系の開拓者が次々とアメリカに移住しはじめます。
ヨーロッパから他の地域にワインが広まって行ったのと同じく、アメリカ大陸でも、当初ワインはキリスト教のミサに欠かせない供物として扱われました。
アメリカで初めてワインが作られたのは1560年ごろと言われています。
このワインはアメリカの東海岸・フロリダ州に自生するブドウで作られました。
しかし、アメリカ原生のブドウは味や風味がワインには適さなかったため、徐々にヨーロッパから持ち込まれた品種のブドウでのワイン作りが盛んになっていきます。
16世紀〜17世紀:フランシスコ会によるワイン造り
アメリカにヨーロッパブドウを広めたのは、スペイン人征服者のエルナン・コルテスです。
1522年に初めて苗が持ち込まれ、1542年に野生のブドウに接ぎ木する形で栽培が始まりました。
この苗は教会でのミサ用のワインに使われたことから「ミッション種」と呼ばれ、キリスト教の宣教師たちがアメリカ各地に教会を築きながら開拓を進めていく中で各地に広がっていきました。
初めてカリフォルニア州にブドウ畑を開いたのは、フランシスコ修道会のフニペロ・セラ神父です。
アメリカでのワイン作りは、カリフォルニアのある西海岸よりも、フロリダなど東海岸で先に始まりました。
しかし、東海岸は気候がブドウ栽培に適さず、また害虫フィロキセラも生息していたため、東海岸のワイン産業は徐々に衰退し、東海岸ではラムやバーボンが主流となって行きました。
西海岸にはまだフィロキセラの害はなく、カリフォルニア州ではヨーロッパ種のブドウでのワイン作りが始まっていきます。
フランシスコ会は、1769年に最初のブドウ畑を築き、1771年には現在のロサンゼルス郊外にカリフォルニア初のワイナリーを開きます。
フランシスコ会は徐々に北上しながらサンフランシスコ近郊までワイン作りを広めて行きましたが、1833年にメキシコ政府によりカルフォルニア地域の修道院が全て世俗化されます。
この影響で、ワイン作りやブドウの栽培は宗教的な意味合いよりビジネスとして考えられるようになり、州知事のマリアーノ・グアダルーペ・バレホ将軍がカリフォルニア初の職業的ブドウ栽培者となりました。
18世紀:ゴールド・ラッシュと商業ワイン
1800年代以降、征服者や宗教関係者以外のヨーロッパ人もアメリカに入植し始めました。
1848年にはサンフランシスコで金が発見されて世界中の注目が集まり、1949年以降金の採掘を目的とした入植者でカリフォルニアの人口は激増します。
ヨーロッパからの移民が多く入植したことでワイン需要が高まり、ソノマ郡・ナパ郡など現在もワインの産地として知られている北カルフォルニアには一面のブドウ畑が広がるようになりました。
ヨーロッパからの入植者の中にブドウ栽培やワイン製造の経験者が多くいたこともあり、この頃から現在の素地となるカリフォルニアのワイン産業が出来上がっていきます。
しかし、この頃大量に作られたカルフォルニアワインには粗悪品も多く、商業的に成功したワイン業者はあまり多くありませんでした。
1857年、「カリフォルニアワインの父」と呼ばれるアゴストン・ハラジーがソノマ郡にブエナビスタ・ワイナリーを設立します。
ハンガリー人移民のハラジーは、カリフォルニアぶどう栽培委員会議長として、ヨーロッパ視察やヨーロッパからのブドウ苗の輸入を積極的に行い、カリフォルニアワインの品質向上を試みました。
この後の1859年から1860年代の間には現在も続く有名ワイナリーがいくつも創業されていて、ハラジーの影響を受けたワイン業者たちが商業的な成功を納めて行ったことがわかります。
19世紀:流通の拡大とフィロキセラ害
1869年、アメリカに大陸横断鉄道が開通し、西海岸と東海岸の経済交流が活発になっていきます。
カリフォルニアワインも全米で流通するようになり、さらにニューヨークを通じてヨーロッパにも輸出されて一定の評価を得はじめました。
大陸横断鉄道全通からの10年間で、カリフォルニアワインの販路はオーストラリアや東アジアにも広がっていきます。
この頃、カリフォルニア全土で300億本以上のぶどうの木が栽培されていましたが、1870年代になるとヨーロッパで蔓延していたフィロキセラがアメリカ西海岸にも広がっていきます。
しかし壊滅的な被害を受けたヨーロッパに比べるとカリフォルニアでのフィロキセラ害は穏やかだったため、ワインの生産が激減したヨーロッパ向けにカリフォルニアワインの輸出量が増えていきました。
1880年代にはアメリカの苗にヨーロッパ種のブドウを接ぎ木するフィロキセラ対策が発見されたため、カリフォルニアは比較的すぐに虫害から立ち直ることができました。
20世紀初頭:禁酒法時代とその影響
1919年1月16日、カリフォルニア州が禁酒法を批准して禁酒法時代が始まりました。
これにより多くのワインセラーがワイン産業から撤退しますが、一部の企業は特例とされたキリスト教のミサ用ワインの供給のために生き残ります。
ワイン製造は禁止されてもブドウの栽培は禁止されなかったので、食用ブドウやブドウジュースなど、ワイン作り以外の業態でブドウの栽培を続けたワイナリーもあります。
また、個人が家庭での飲用に作るワインは年間780リットル以下あれば合法だったため、自家製ワイン作りが流行し、そのために使う濃縮ブドウ果汁の需要もありました。
このため1920年代までは、禁酒法下であってもブドウの栽培面積は増加していきます。
この時期は、それまで人気だったカベルネ・ソーヴィニヨンなど高級品種に代わって、家庭での醸造や輸送が簡単なアリカンテ・ブーシェ種などが流行し、多く作られていました。
1933年に禁酒法は撤廃され、わずか140にまで数を減らしていたワイナリーは爆発的に数を伸ばしました。
1934年には804のワイナリーが稼働していましたが、上述した理由で高級品種のブドウの生産量が少なく、新規参入のワイナリーも多かったため、質の悪さからカリフォルニアワインの需要が低下してしまいます。
その後10年ほどでワイナリーの数は465まで減少し、禁酒法の後影響を受けてカリフォルニアのワイン産業は後退しました。
20世紀後期:好景気とワイン産業の復興
第二次世界大戦後の1950年代、戦勝の好景気から家庭の食文化に変化が訪れました。
具体的には、豪快なアメリカ料理から繊細なヨーロッパ料理に人々の好みが移り、ヨーロッパ料理に合う飲み物としてワインが注目を集めます。
また、1960年代にはテレビが発明され、ツィッギーやオードリー・ヘプバーンなどスレンダーなモデルや女優が活躍したことでダイエットブームが起こりました。
このことから、度数が高くなく、健康的なアルコールとしてワインが人気を集め、ワインの需要が高まっていきます。
この影響で1960年代〜1970年代にはカリフォルニアのブドウ栽培面積が飛躍的に増加し、2000年代まで順調に成長し続けました。
2000年代に入ると、ナパ郡で物理的にブドウ畑の拡張の余地がなくなり、2009年に初めてワイナリー全体の売り上げが前年度を下回ります。
現在、2008年の経済危機の影響もあって高価なワインの愛好家の数は減少していますが、カリフォルニアワインの消費量自体は堅実に伸びていて、全世代で愛好家が増加しています。
近年のカリフォルニアワインについて
カリフォルニアはヨーロッパに比べて気温が高いのでぶどうが完熟しやすく、品種を問わず糖度やアルコール度数の高いワインが出来るのが特徴です。
また、カリフォルニアは雨がとても少ないため、灌漑設備で機械的に水分を調節していて、年による当たり外れが少ないとも言われています。
温度や土壌の影響を受けにくいので、カリフォルニアワインはそれぞれのブドウの品種が本来持っている個性が出やすいことも特徴と言えます。
また、近年はカリフォルニアワインの製造方法に変革が起こっていて、従来の工業的な大量生産よりも、小規模なワイナリーで超優良品を製造するのが主流になってきています。
アメリカも比較的ワインの歴史が新しい国ですが、昨今では安価なテーブルワインの需要はチリワインなど他国の新世界ワインに奪われているため、独自性のあるワインで新たな需要を獲得するのが狙いです。
カリフォルニア大学デイヴィス校など、最先端の醸造学を研究する期間もこの変革を後押ししています。
A.V.A制度
カリフォルニアのワイン法は、1976年に制定、その後1983年に改定されました。
これと同時にA.V.A(American Viticultural Areas)も制定され、これによってカリフォルニアワインは3つのグレードに分類されています。
- プロプライアタリーワイン
- ヴァラエタルワイン
- ジェネリックワイン
最上位のプロプライアタリーワインは、特定のワイナリーがブドウの栽培・醸造・瓶詰めを一貫して行ったワインです。
オリジナルのブランド名やワイナリーの名がラベルに記載されていて、銘柄ごとの個性が強いのが特徴です。
ヴァラエタルワインは、その中でもいくつかの種類に分かれます。
単一品種を最低でも75%以上使用していることが条件ですが、品種名・州名・郡名・AVA(指定生産地)・畑名など、記載される事項ごとに基準があり、ランクも異なります。
ジェネリックワインは、複数のブドウ品種を混ぜて作られた安価なテーブルワインです。
カリフォルニアで栽培される主なぶどう品種
カリフォルニアで栽培されるブドウの品種は、ヨーロッパ系移民がワイン伝えたという経緯からヨーロッパ系の品種が多くなっています。
赤ワイン用ぶどう品種
カリフォルニアで栽培されている主な黒ブドウの品種は、以下の通りです。
- カベルネ・ソーヴィニヨン
- メルロー
- ジンファンデル
- ピノ・ノワール
- シラー
カリフォルニアでは、カベルネ・ソーヴィニヨンの栽培面積が他の品種より群を抜いて多くなっています。
カリフォルニアで栽培されている黒ブドウは、ほとんどが1800年代から存在するヨーロッパ系の伝統的な品種となっています。
白ワイン用ぶどう品種
カリフォルニアで栽培されている主な白ブドウの品種は以下の通りです。
- シャルドネ
- フレンチ・コロンバード
- ソーヴィニョン・ブラン
- シュナン・ブラン
カルフォルニアでは、白ブドウ品種の中ではシャルドネの栽培面積が圧倒的に大きく、2位のフレンチ・コロンバードの作付面積に3倍ほどの差をつけています。
1970年代まではフレンチ・コロンバードが最も多く栽培されていましたが、1970年代以降シャルドネの人気が急上昇し、現在のカリフォルニア産白ワインの主流はシャルドネとなっています。
カリフォルニアワインの主な産地
カリフォルニアワインの、主な産地と特徴についてご紹介していきます。
ナパ・ヴァレー
ナパ・ヴァレーはカリフォルニア北部に位置する、カリフォルニアワインの一大産地です。
前述したように、物理的にこれ以上の拡大が難しいほど広大なブドウ畑が広がっています。
ナパ・ヴァレー産のワインは濃厚さと力強さが特徴で、中でも赤のカベルネは世界でもトップクラスと言われています。
AVAでは、ナパ・ヴァレーの中でも細分化された産地指定地域が存在しています。
ソノマ郡
ソノマ郡は、ナパ・ヴァレーに次ぐカリフォルニアワインの名産地です。
ナパ・ヴァレーでは一箇所に主要な産地が固まっているのに対して、ソノマ群では郡全体にブドウ畑が分散しています。
海側は寒冷な気候でピノやシャルドネが多く作られ、内陸側は温暖なためカベルネやジンファンデルなどの品種が有名です。
サンタバーバラ
サンタバーバラは、1960年代にワインの製造が始まった比較的ワイン作りの歴史が浅い地域です。
しかしワイナリー数は100以上あり、ナパ・ヴァレーやソノマ郡の次に大きな産地と言えます。
標高が高くカリフォルニアのワイン産地の中で最も寒冷なため、シャルドネやピノ・ノワールなど寒冷な気候を好むブルゴーニュ種の生産が盛んです。
モントレー
モントレーは、1700年代にフランシスコ会の修道士たちがカリフォルニアに初めてブドウを植栽したワイン作りの歴史が古い地域です。
冷涼で穏やかな気候のためブドウ栽培に適していて、小規模ながら有名なワイナリーが揃っています。
小粒で凝縮された味を持つ良質なブドウが収穫でき、安価でも質のいいワインが作られるのが特徴です。