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起源は紀元前4世紀!?知られざるパスタの歴史

知られざるパスタの歴史

日本の食卓にも定着してきたパスタ。今では数えきれないパスタやパスタソースがあり、わたしたちもパスタを食べる機会が多くなってきました。そんなパスタの歴史を皆さんはご存知でしょうか?

意外とその歴史は古く、起源は、ヨーロッパで紀元前4世紀にできたという説と、麺の原型である中国の湯餅(たんぴん)をマルコ・ポーロがパスタの本場・イタリアに持ち込んだという説があります。

今回はこの二つの説について詳しく解説していくと共に、この古い歴史から現在に至るまでどのように現在の形に近づいたのか、どのように日本に伝わったのか、そして現代のパスタブームについてまで詳しく解説していきます。

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パスタの発祥や起源

パスタの発祥や起源

パスタの始まりは諸説ありますが、大きく二つに分けられます

  • 1500年前、麺の原型が中国から伝わり、マルコポーロがイタリアに伝達した
  • 紀元前4世紀前、ヨーロッパののエトルリア人がはじめだった

それではこの二つについて詳しく説明していきます。

中国発祥説

1500年前の「斉民要術(さいみんようじゅつ)」という世界初の農業に関する学術書において”湯餅(たんぴん)”が現在の麺類のはじまりとされています。つまり、パスタの祖先もこの湯餅(たんぴん)らしいのです。湯餅(たんぴん)というのは手で伸ばされた棒状もしくは小片状(小さな切れはしの形に近いもの)で、麺の始まりは中国だ、という説は雑誌「ネイチャー」にも論文が発表されるほど有力なものです。

そして、この「湯餅(たんぴん)」をイタリアにもたらしたとされるのがマルコ・ポーロです。マルコ・ポーロは1271年、彼が17歳の時、商売拡大に向けて東アジアに向けて旅立った際、中国にも足をはこんでいます。その時に、中国の住民が細長い食べ物を茹でている光景を見て、興味を持ったマルコは作り方を教わり、イタリアに伝達しました。これが、パスタの始まりです。

意外にもパスタとマルコ・ポーロとの関係は強く、この説の他にもマルコの旅仲間であった一人が、中国の娘と恋仲になり、マルコ隊が帰国する時あまりにも悲しみをおった中国の娘がその場で倒れ、平らにつぶれたパンの生地が現在のミェヌ(麺)になったとも言われています。このようなことから、「マルコ・ポーロなしではパスタなし」という見方もあるそうです。

イタリア発祥説

ヨーロッパ説の場合、紀元前4世紀のエトルリア人(イタリア半島中部の千十人)のお墓に”プルス”という現在のラザニアに近いパスタが見つかったことで、これがパスタのはじまりではないかとされています。当時のパスタというのは生パスタを焼いたり揚げたりするのが定番でした。ですが、先ほどの中国の説に比べると、この説はあまり有力ではありません。

パスタの原型の誕生

パスタの原型の誕生

今のパスタの形が出来上がったきっかけはイタリアの南部にあるナポリです。そのきっかけとなったのは16世紀の半ば、都市人口増加によって激しい飢饉(食料がなくなり人々が飢え苦しむこと)に襲われたナポリで、パスタを長期的に保存出来るように、乾燥させたものをつくりました。この乾燥パスタが今のパスタの形にほとんど近く、これが普及のきっかけにもなりました。

また、昔は頭上にパスタを持って下から食べるのが定番でしたが、今のようにフォークを使って食べる食べ方ができたのもナポリが発祥の地です。18世紀初め、ナポリの国王が毎日スパゲッティを食べることを家来に命じたところ、このスパゲッティを上品に食べられるように先が4本のフォークが出来たとも言われています。

>>パスタの原料や定義について詳しくはコチラ

パスタの世界への広がり

では、今の形にできあがったイタリアのパスタがどのようにして世界に広まっていったのでしょうか。

広がりを見せたポイントは大きく三つあります。

  • 乾燥パスタの大量生産が可能になった
  • イタリア住民のアメリカ移住
  • トマトソースの誕生

それではこれらのことについて詳しく説明していきます。

乾燥パスタの大量生産が可能になった

パスタの製造方法と言うのは大きく二つあり、はじめは”ブロンダイス製法”でした。この生産方法は青銅製の機械で表面がザラついた状態になります。ですが、これを改良して出来たのがもうひとつの”テフロンダイス製法”です。これは、表面がツルツルになった状態で、ブロンダイス製法よりも溝がなく乾燥しやすい、高温で短時間に製品を完成できることからパスタをより低価格で、そして大量に生産することが可能となりました。これにより、手の届きやすい製品となって世界に広まったと考えられています。

このようなことから、パスタの形状というのは多様化してきています。ちなみに、パスタの最初の形状は現在のラザニアのような形から始まりました。歴史的にはロングパスタの方が先で、ラザニアのような形から料理しやすい・食べやすいように細長くすることを思いつきました。その後、さらに簡単につくれるようにということでちぎるだけのショートパスタが生まれた、とされています。

イタリア住民のアメリカ移住

19世紀後半に労働需要がましたり、自由な宗教を求めて欧米人が北米や南米に移り住み、タリア人もそのうちのひとつでした。自国の料理に誇りを持っているイタリア人は移り住んだ国でも母国の料理を作り続け、これが広まったきっかけになります。そのため、現在のパスタの一人あたりの消費量もイタリアに次いで、イタリア移民が多い南米やアメリカの国々が上位のランキングに並んでいます。

トマトソースの誕生

三つ目はパスタの親友、トマトソースが出来たことです。トマトソースが出来る以前はチーズだけでパスタを食べていました。ですが、1554年に医者であるアンドレア・マッテイオーリがトマトソースを初めてつくったとされたています。17世紀末にはトマトの栽培が盛んになり、日本にも伝わりました。この時に料理人のアントニオがスペイン風のトマトソースをつくったことがきっかけで、パスタに絡みやすいソース開発も進み、消費量は一気に増えました

ちなみに、ソースのというと15世紀のパスタというのは甘く、砂糖や蜂蜜、シナモンをかけるのが基本でした。19世紀前は、「チーズ・コショウ、その他の香辛料」でパスタは食べられていました。このときのチーズというのは上品でさっぱりとした味わいのパルミジャーノ・レッジャーノや、ペコリーノチーズが使われていました。20世紀になると、アラビアータやアーリオ・オーリオのような辛いパスタが出始めたため、辛いパスタというのは歴史が浅いのです。

有名メーカーの誕生と革命

パスタの有名メーカーといえばバリラディ・チェコではないでしょうか。この二つは今ではパスタの中でも定番化されており、独特の食感と求めやすい価格が人気のひとつです。この人気のはじまりというのがパスタ界の中に革命をもたらした各企業の機械開発です。

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バリラ(Barilla)
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イタリアで三人に一人は選ぶとされているイタリアNo1ブランド。1877年にイタリアの北部パルマにてつくられました。今では表面がツルツルなのが特徴で、大量生産をもたらした製造方法の”テフロンダイス”製造はバリラ社が開発しました。今では120種類以上のパスタを開発しており、イタリアの代表的な国際企業になっています。

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ディ・チェコ(De cecco)
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1886年にディ・チェコ兄弟が立ち上げた会社。バリラとは反対でザラザラしたのが特徴です。マイエッラという小さな村で石臼を使った「最高の小麦」を使ったのが始まりで、パスタを天日干しして乾燥させていた今までの方法を、天候に左右されないようにいつでも乾燥できる低温乾燥装置と開発しました。これにより、一気にディ・チェコの知名度は広まりました。

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パスタの日本への広がり

日本の広がり

パスタが日本に広まったのは幕末から明治にかけてのことです。幕末には、横浜外国人居留地でパスタが食べられ始め、1883年ごろにはフランスの宣教師が長崎でマカロニ工場を作りました。

また、それより少し前の1874年には新潟に遊びに来ていたサーカス団のイタリア人が開いた西洋レストランが日本初のパスタが食べられるレストランだったそうです。ですが、当時はあまりにも高級品で一部のお金持ちにしか食べれませんでした。

その後、第二次世界大戦が終了すると、人の手を介さなくてもつくれるようになったパスタ機械は、日本の目に付き全国各地に工場が出来あがったことで、一般の家庭にも手が届きやすくなりました。その後保存性が高い、調理が簡単、どんな調味料にも合いやすくアレンジが多様であることから、日本人の食文化に浸透していきました。

1955年~ マ・マーによるパスタ文化の普及

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昭和30年は日本の「パスタ元年」ともいわれています。この年に日本で本格的な大量生産が始まりました。これのさきがけとなったのが「マ・マーマカロニ」。このキャッチーな名前は、いつも家族の中心であるお母さんのように、スパゲティもそのような存在になってほしい、という思いでつくられました。マ・マーは連動式自動生産機の国内第一号となり、日本にパスタ界の先駆者となりました。しかし、導入直後の日本人の反応は薄く、「変わった形のローソク」と罵られることもあったそうです。

ですが、マ・マーは料理研究所をつくりパスタの目覚ましいメニューを開発・普及、さらには直営レストランを経営し、トレンドでお洒落なコンセプトで若い人たちに人気を集め、パスタ文化が徐々に日本に浸透されました。

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1980年代後半~ イタ飯ブーム

1980年代後半からバブルにかけて一気に普及したイタリアン料理(当時は略してイタ飯ともいわれていました)

急激にイタリアン料理店が増えたため、人出が足りず、フランス料理店から人をあてがったそう。このことで、バブル期はフランス料理店は閉店に追い込まれました。

また、フランス料理は堅苦しく値段も高いイメージもあり、これとは反対のリーズナブルで気軽に楽しめるイタリア料理が人気になったのも、イタリア料理の増加の理由でもあります。また、今や駅前には欠かせないイタリアントマト(イタトマ)の設立もこの年だったというのもあります。

最もイタ飯流行の要因となったのはイタ飯ブームの少し前に流行ったイタリア系のファッション(イタリアン・カジュアル)が火付け役となったとも言われていて、雑誌「HANAKO(イタ飯の他にも「花キン」や「ティラミス」の火付け役にもなった)」がイタリア料理をブームにのしあげたとも言われました。

これによって美味しいパスタが手軽に食べれるようになり、日本でもイタリア料理が定番化していきました。

2000年代~ 生パスタブーム

生キャラメル、生クリームなど、「生○○」ブームの火つけ役になったのが「生パスタ」とも言われています。乾燥パスタとの大きな違いは「水分量」と「小麦の品種」。乾燥パスタと比べて水分量が少なく、さらに粒子が細かいデュラム・セモリナ粉を使っているため、弾力があって歯切れの良い食感ができます。このもちもちの食感が日本で話題を呼び、ブームになりました。

2010年代~ ナポリンタンブーム

2012年後半から日本独自のパスタ「ナポリタン」がブームになりました。この火つけ役となったのは「ロメスパ」という立ち食いそばに近いスパゲッティ屋さんので、30代から50代のサラリーマンに人気のお店です。そこで売られているナポリタンが、子供の時に食べた「懐かしさ」をよんで、そのブームに乗っかったカゴメがナポリタンイベントである「カゴメナポリアンスタジアム」を開催し、一気に人気を博しました。

現在~

パスタというのは現在数えきれないソースの種類や、パスタの形状があり常に進化し続けています。今後も、私たちが見たことのないパスタが増え続けて、再びパスタブームがおきるかもしれません。

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